東京高等裁判所 昭和34年(う)836号 判決
被告人 ルーズベルト・ワードロウ 外一名
〔抄 録〕
弁護人の控訴趣意第一点に対する判断。
原判示第一の強盗の事実は原判決挙示の証拠によつて優に認めることができ、記録を精査してみても原判決の事実認定にいささかも誤ある廉は見い出されない。すなわち被告人両名が原判示自動車について強取の意思を抱いていたことは、関係証拠、とくに被告人ワードロウの昭和三三年一〇月一日付検察官に対する供述調書第四項、及び被告人シユリケンゴーストの同年九月三〇日付同調書第一二項の各記載などによつて明らかであつて、弁護人の引用するこの点についての被告人両名の原審公判廷における供述は原裁判所の措信しなかつたところとみられるのであるが、かような供述があるからといつて、自動車強取の意思を否定すべきだということはできない。
おもうに、従来、判例が強窃盗罪の成立には、窃取または強取の意思のほか、不法領得の意思を必要とするといい、しかも、この不法領得の意思を解して、権利者を排除して他人の物を自己の物として(或は、自己の物と同様に)その経済的用法に従い、これを利用し、又は処分するの意思としていること、まことに、所論のとおりである。しかし、ここに、「自己の物として」というも、また「自己の物と同様に」というも、その趣旨において何等異るところはないのであつてこの両者の間に差異あるもののごとく論ずる見解は正しいとはいえない。
ところで、窃取または強取の「取」とは、物を支配者の支配から離脱させるだけでは足らず、犯人において、その物に対する支配を獲得することをいうのである。
それで、物に対する支配を獲得せんとする意思をもつて、窃取または強取の意思とするのである。
しかり、而して、物に対する支配を獲得するということは、物を利用し又は処分することの可能な状態を設定することを意味するのである。この状態を約言して、利用可能性というならば、物に対する支配とは、物に対する利用可能性の義に外ならないのであるから、物に対する利用可能性を獲得したときをもつて、物に対する支配を獲得したというべきであつて、ここに、窃取または強取の成立を認むべきである。
それ故に、不法領得の意思を解して、前示判例の説くがごときものとする限り、物に対する支配を獲得せんとする意思(窃取または強取の意思)こそ、まさに、不法領得の意思そのものに外ならないのである。
従つて、かく論ずるときは、窃盗罪または強盗罪の成立には窃取または強取の意思の外に、更に不法領得の意思を必要とすると説くべきものではないのである。そこで、いわゆる使用窃盗といわれる場合を考えてみるに、この場合においてもたとえ一時なりとはいえ、物に対する利用可能性すなわち物に対する支配の獲得があり、従つて反法行為というべきものではあるが、それが零細なるものであるところからして、刑法の保護に値する法益の侵害ということができない故をもつて、罪を構成しないと論断すべきものであつて、不法領得の意思がない故をもつて窃盗罪を構成しないと論ずべきではないのである(明治四三年一〇月一一日大審院判決参照)。
さて、飜つて、ここに本件について観るに、被告人両名は判示運転手長谷川秀次から現金三、五〇〇円を強取した上、さらに同人に対し、被告人ワードロウが拳銃を突きつけて脅迫したまま、自動車の運転を継続せしめ、それから約九粁を走行した後、右長谷川秀次をして恐怖の余り、進行中の自動車から脱出するに至らせたというのであり、しかも、原判決の挙示する証拠に徴すれば、右拳銃をもつてした脅迫が右長谷川秀次の反抗を抑圧したことが明らかであつて、同人をして恐怖の余り自動車から脱出するのやむなきに至らしめた為、ここに、被告人両名は該自動車に対する利用可能性を取得し、よつて以て、該自動車に対する支配を獲得したと見るべきであるから、これ、まさしく、被告人両名において、該自動車を強取したものといわなくてはならないのである。
然らば、原判決が、被告人両名に対し、該自動車をも強取したものとして刑法所定の責任に服せしめたとて、何等違法をもつて論ずべき筋合ではない。それ故に、論旨は理由ないものとして排斥するの外はない。
(尾後貫 堀真 本田)